Uターンした昭和村で再会し、結婚した酒井さんご夫婦。現在、夫の聡志さんは石材店、妻の由美さんは蕎麦カフェを経営しています。Uターンの経緯や馴れ初めなど、根掘り葉掘り聞いてみました!さらに仲間たちと一緒に、廃校になった喰丸小を活用し、村外からファミリーを呼んで遊ぶイベントも開催しているんだとか。

昭和村のおしどり夫婦 酒井聡志さん&由美さん
聡志さん:1978年生まれ。昭和村出身。高校卒業後、会津若松市の石材店に就職。24歳で昭和村にUターンし、29歳のときに「酒井石材」を設立。墓石に戒名などを掘る、石材文字彫刻の職人。
由美さん:1974年生まれ。昭和村出身。郡山市にある寮制の高校を卒業し、そのまま郡山市で就職。27歳で昭和村に戻り飲食店に勤務。2018年に交流・観光拠点施設「喰丸小」構内に「蕎麦カフェSCHOLA(スコラ)」をオープン。

お互いUターンして、村の集まりで再会!村の生活は車があれば困らない

――お二人とも昭和村のご出身だそうですが、同級生ですか?

聡志さん
いえ、同じ小学校なんですが当時は本校と分校に分かれていて、学年も違いますからほとんど面識はなかったですね。

――となると、お互い2002年頃にUターンして、再会してから恋に落ちた感じですか?

聡志さん
そんなロマンティックな話じゃないですよ(笑)。二人ともバツイチ子持ちで、小学校のPTAの集まりで出会いました。でもその前に、俺のじいちゃんが彼女にそば打ちを教えていて、「うちの孫、どう?」と勧めていたみたいです。

――おじいちゃんが先に種をまいていたんですね(笑)。お互いどんな印象でしたか?

聡志さん
俺は最初から気になっていましたね。道の駅にある飲食店・苧麻庵(ちょまあん)で宴会をしたとき、彼女がそこで働いているのに気づき「電話番号教えろ」とアピールしました。
由美さん
もう、とにかく恐かったですね〜。今よりもっとやんちゃな感じでしたから。「逃げたい……」と思ってました。
聡志さん
何回も「また今度ね」って逃げられました。でも電話番号を交換した日からメールをするようになって、付き合って半年後の2009年に結婚しました。
酒井さんご夫婦

――すみません、馴れ初めを聞くのに夢中になっちゃったんですが(笑)、お二人がUターンした理由をお聞きしてもいいですか?

聡志さん
俺は昭和村でお墓に戒名などを彫刻する石材店をやりたかったんです。村にはそんな石材店がなかったので需要があると思って、Uターンしてから数年後に酒井石材を立ち上げました。長男なのでいつかは帰るつもりではいたんですけどね。
由美さん
私の場合は離婚ですね。子どもがまだ小さかったので、実家に戻ることにしました。

――それぞれ会津若松市、郡山市という都会から戻ってきたお二人から見て、昭和村のここが大変だなって思うのはどんなことですか?

由美さん
買い物ですかね。村に商店はありますが、大きなスーパーに行こうと思ったら、車で30分から1時間くらいかけて南会津町か会津若松市まで行く必要があります。でも車が嫌いな人でなければ苦にはならないと思いますよ。
聡志さん
病院かな。会津若松市まで行けば大きな病院はありますが、車が運転できない高齢者には不便かもしれません。

あとは雪!俺たちは慣れていますが、移住者はひと冬でイヤになるかも(笑)。大変だけど、いろんな遊びができて楽しいですよ〜!

生まれ変わった喰丸小に蕎麦カフェをオープン。こだわりの十割そばに県外からもお客が

蕎麦カフェSCHOLA(スコラ)の看板メニュー「せいろ蕎麦」
蕎麦カフェSCHOLA(スコラ)の看板メニュー「せいろ蕎麦」。昭和村の矢ノ原高原で栽培されたそば粉を使った、十割そばだ

――由美さんはオシャレな蕎麦カフェを経営されていますね。昔からそば打ちが趣味だったんですか?

由美さん
いえ、そんなことはないんです。以前働いていた飲食店の苧麻庵(ちょまあん)で生そばを提供していたんですが、打ち手さんたちが高齢化していまして。それで「自分たちでそばを打とう」という話になって、村の人から打ち方を習い始めました。

――さっきお話に出てきた、聡志さんのおじいちゃんですね!

由美さん
そうそう。つなぎを入れない十割そばなので最初は麺が切れてしまっていましたが、だんだん上達して切れずに打てるようになって。お客さんが「おいしい」と喜んでくれるのがうれしくて、ハマっていきました。
聡志さん
ちなみにそば粉は、昭和村の矢ノ原高原で俺の親父が栽培したものです。地産地消です。そのそば粉を使って妻がそばを打ち、俺が食べる。家庭内でも地産地消です。

――(笑)。そこからどうして独立されたんですか?

聡志さん
俺が勧めました!!!廃校になった喰丸小を観光拠点にするプロジェクトが進んでいたんですが、併設するカフェをやる事業者がいなかったんですよ。村の懇談会でその話を聞いて「ここで店開いたら?」って提案しました。
由美さん
迷ったんですが、役場の担当者が大量の資料を持って家に来て、説得されました(笑)。
スコラの2階席の窓際席
喰丸小の校庭と樹齢120年超のイチョウの木
スコラの2階席の窓からは、喰丸小の校庭と樹齢120年超のイチョウの木が眺められる。秋の紅葉の季節は特に絶景!

――当時は苧麻庵(ちょまあん)に勤めていたんですよね?

由美さん
そうです。お客さんもおいしいって食べてくれるんですけど、みなさん私がそのそばを打っていることを知らないんですよね。それにモヤモヤしていたことが、独立する理由にもなりました。

――まさか、おそばを女性が打っているなんて思わないでしょうしね。

由美さん
そうだと思います。でも今はお客さんから直接「おいしかったよ」って言ってもらえます。県外の関東や東北からも、わざわざ食べに来てくれるお客さんもいるんですよ。独立して良かったって思います。
聡志さん
旧喰丸小学校は1980年に廃校になりました。でもスコラができたことで、親が食事をしている間に子どもが校庭で遊ぶ姿が見られるようになりました。子どもの声が戻って、校舎が喜んでいる気がします。

喰丸小で村外から親子を集めたイベント開催!昭和村は「何もないのがいい」

交流イベント「昭和な青空教室」の風景
第1回目となる2018年9月開催の交流イベントでは「昭和な青空教室」と題して、喰丸小の校庭でさまざまな催しが実施された。写真右手に見えるクリーム色の建物が「蕎麦カフェSCHOLA(スコラ)」

――喰丸小は観光地としても知られていますね。いろんな活用の仕方がありそうです。

聡志さん
そうですよね。そこで俺たちや村の若い人で地域活性化を目指す「すこらでえーん会」という団体を立ち上げました。2018年から喰丸小を使って、村内外の親子を集めた交流イベントを開催しています。

――どんなイベントなんですか?

聡志さん
学校を使うので授業風にしています。図工の時間に竹馬を作り、体育でその竹馬を使って校庭で遊ぶ。家庭科で焼きおにぎりを作り、給食として食べるといった感じですね。

冬に開催したときは雪の中に食材を埋めて、それをみんなで探し当てて、校庭に作った大きなカマクラの中で鍋を作って食べました。花火もしたんですよ。
喰丸小の校庭に作られたカマクラ
2019年3月に開催された交流イベントでは「昭和な寒空教室」と題して、校庭にカマクラが作られた

――おもしろそー!!!子どもは絶対喜ぶし、大人も童心に返れそうです!

聡志さん
めちゃくちゃ楽しかったですよ〜。村の子どもは村外の子どもと交流する機会になるし、村の宿に宿泊してもらえば村の経済にもプラスになります。
由美さん
2018年から2019年に3回開催しました。今は新型コロナの影響で休止していますが、落ち着いたらまた再開したいと思っています。

――ぜひやってください。楽しみにしています。ちなみに普段、村の子どもたちはどんな風に遊んでいるんですか?

聡志さん
家でゲームをする子どもも多いと思いますよ。でも俺はそういうのはあまり好きじゃないので、外へ遊びに連れ出します。この間も、家族全員で家の前で大雪合戦をしました。汗だくになりましたね(笑)。

――自然でダイナミックに遊べるっていいですね。

聡志さん
昭和村は自然が最高ですからね。空気が澄んでいるので星もキレイです。子どものころはよく道路に寝っ転がって夜空を見ていました。今は自分の子どもたちとやっています。
由美さん
お客さんにもよく昭和村のいいところを聞かれるんですが、何もないんですよ。でもそれがいいところなんだと思います。ごちゃごちゃしていなくて、四季を丁寧に感じられます。
聡志さん
俺に会いに来るつもりで一度来てみてほしいですね(笑)。

酒井さんご夫婦のオススメ昭和村スポット

「矢ノ原湿原」

夏の矢野原湿原
約8万年前にできた、日本で2番目に古い湿原といわれている
酒井さんご夫婦
遊歩道もあって、周辺にも写真撮影に最適なスポットがたくさんあります。特に紅葉の時期はめちゃくちゃキレイですよ!この湿原がある矢ノ原高原でうちのそばも育ててますしね(笑)。

この記事は、令和3年度 福島県地域創生総合支援(サポート)事業を活用しています。

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