昭和村の「からむし織体験生事業」に参加し、そのまま移住した山内さん。日本最古の織物とされるこの「からむし織」を作るため、1年を通してイラクサ科の植物「からむし」の栽培から手掛けて、糸をつむいで布を織る、といった暮らしをしています。「昔の人に近い生活をそのまま体現している」という、つつましくも満たされた日々。昭和村だと、こんな生き方もできるんです。

からむしとともに生きる 山内えり子さん
1977年生まれ。青森県弘前市出身。地元の大学を卒業して学習塾で勤務した後、2005年に「からむし織体験生事業」に参加し、そのまま移住。からむしの布に津軽の「こぎん刺し」で模様をつけ、小物を製作。「monderico」という名前で販売もしている。

からむし織が気になって仕方がない。体験生事業に参加し、そのまま移住

――山内さんは青森県から移住されたそうですね。今はどんなお仕事をされているんですか?

山内さん
「自由業」ですかね(笑)。昭和村には古くから「からむし(苧麻)」という草の繊維から糸を作って布を織る「からむし織」の技術が引き継がれています。

私もからむしを栽培して布を織り、それに青森・津軽地方の伝統的な刺し子「こぎん刺し」をほどこして小物を作っています。
山内さんが制作したからむし織の作品
山内さんが制作したからむし織の作品。幾何学模様が施された部分が「こぎん刺し」と呼ばれる刺し子技法によるもの

――からむし織の作家さん、ということでしょうか?

山内さん
うーん、作家というほどではないですね。私の場合、生活の中心にからむし作業があって、その合間に現金を得るための臨時アルバイトをしたり、野菜を作ったりしている感じです。

――なるほど、それは自由業が一番適切かもしれませんね(笑)。山内さんはそもそもどういう経緯で移住されたんですか?

山内さん
青森では趣味でこぎん刺しをしていました。あるとき古い本に「昔の布はからむしから作られていた」と記載があって、インターネットで調べてみると、からむしが草で、今でも昭和村で栽培されているとわかりました。それで興味がわいて、2003年に昭和村を訪れたんです。

――気になったから行ってみるとは、なかなか大胆ですね。村に来て、からむし織のことはわかりましたか?

山内さん
「からむし工芸博物館」で展示を見たんですが、それだけでは「草が糸になり布になる」という過程がわからなくて。青森に戻った後もずっと気になっていたので、2005年に思い切って「からむし織体験生事業」に参加しました。

――頭で理解するんじゃなくて、自分自身で体験してみたかったんですね。

山内さん
青森にもいろんな文献があり、博物館にははた織りの道具も残っていますが、糸を作って、布を織れる人はいませんでした。でも昭和村は今もたくさんの人がからむし織を続けています。その世界に感動しちゃったんです。
山内さんが所有する織物に関するさまざまな資料
山内さんのご自宅には織物に関するさまざまな資料が。オレンジ色の書籍は、1974年に発行された弘前こぎん研究所の初代所長である、横島直道氏の著書『津軽こぎん』(日本放送出版協会)の復刻版

――実際、体験生になってみてどうでしたか?

山内さん
すべてが初めての体験で、大変でしたが面白かったですね!あっという間に1年が過ぎ、からむし栽培からはた織りまで、一通りの作業は体験させてもらったんですが「習得」というレベルにはほど遠かったですね。

――体験期間は1年ですよね?その後はどうしたんですか?

山内さん
体験後も「研修生」としてしばらく残ることができるんです。その制度を利用して、もう1年勉強させてもらいました。研修後はそのまま村に残り、畑を借りてからむし栽培を始めました。

――すっかりからむしのとりこですね!織姫(からむし織体験生の女性の総称)のときは合宿所がありますが、卒業後の家はどうしたんですか?

山内さんのご自宅
昭和村の大芦地区にある、山内さんの現在のお住まい
山内さん
何回か村内で引っ越しましたが、今の家は、大家さんが村外に引っ越されたタイミングだったこともあり、月1万円で貸してもらっています。

――一軒家で1万円は破格ですね(笑)。

からむし作業の合間にアルバイトや野菜づくり、作品づくり

――「からむしを中心とした生活」って、具体的にどんな生活なんですか?

山内さん
季節によって変わります。春は雪が落ち着いた頃からはた織りをはじめます。雪が溶けたら、からむし畑の草むしりや「からむし焼き」という焼き畑を行います。そのほかには、野菜畑の手入れもします。

夏はからむしを刈り取り、皮を取って繊維を取り出す「からむし引き」をします。この作業が夏の土用の頃から1ヵ月ぐらい続きます。

秋は翌年分の作業で使う茅刈りをしたり、ワラをもらうために村の方の稲刈りのお手伝いをします。あとは、野菜の収穫や、畑の後片付けなど冬に向けた準備ですね。

冬は糸づくりです。1.5mくらいの繊維をつないで糸にしていきます。手作業なのでとにかく時間がかかります。でも冬は雪が降るので静かで集中できるんです。疲れたら外に出て雪かきをして体を動かします。気分転換もできますし(笑)。
からむしの繊維を持つ山内えり子さん
写真は細かく裂かれた状態のからむしの繊維。ここから1本の糸にしていくために、手作業で繋いでいく
からむし織の布
繋いだ糸を織り上げて、一枚の布に仕上げていく。軽くしなやかで、独特のハリがあり涼しい着心地が特徴だ

――ざっと聞いただけでも、かなりの仕事量がありますね。確かにこれを全部やっていたら臨時のアルバイトしかできない気がします。

山内さん
そうなんです。私も一時期農協の店舗で働いていたんです。でもからむし作業をしながら毎日仕事に行くのは大変で、辞めてしまいました。

――作った小物はどうしているんですか?

山内さん
コロナ禍の前は、クラフトフェアなどに出品し販売していました。以前は元織姫の方と一緒に出店していましたが、4〜5年前からは「monderico(もんどりこ)」という名前で一人で活動しています。
山内えり子さんのからむし織の作品
山内さんが制作したからむし織の作品。「monderico(もんどりこ)」という屋号の響きはは、地元・弘前のねぷた囃子の掛け声からきているそう

村の人の家系図までわかる!?人と人の距離感が近く、関係がうらやましいほどいい

――からむしに夢中だったとしても、環境が合わなければ長くは住めないと思うんですが、昭和村のどんなところが好きですか?

山内さん
人と人の距離感が近いところですね。初めて昭和村に来たとき、バスに乗っていると運転手さんが道路沿いにいる畑作業をしている人たちなどに、手をあげたりして挨拶していたんです。

昭和村のバスは1日上下3本しかないので、一種の時計代わりでもあるんでしょうね。そういう関係性がすごくいいなって感じました。

――微笑ましいですね。実際住んでみて、人と人が近いと感じますか?

山内さん
ええ、とても。みなさんお互いの家族のことをよく知っているんです。別の家族の何世代も前のエピソードを知っていて、その話を聞いているとだんだん頭の中で人物相関図ができていきます。ドラマよりも面白い話もあります(笑)。最初はびっくりしましたが、今はその関係性がすごくうらやましい。

――なるほど、世代でバトンを受け継ぐ連続テレビ小説みたいな(笑)。生活環境ではいかがですか?

山内さん
四季がはっきりしているところが好きですね。どこに行くにも必ず山や田んぼが目に入るし、月の満ち欠けで夜の明るさが違うなど、自然と季節の移り変わりを感じられます。すごく贅沢です。

――逆に困ったことはありませんか?特に雪とか?

山内さん
出身地の弘前市もたくさん雪が降るので大変だけど抵抗はありません。逆に雪のない冬は考えられないかな。

大きな病院はありませんが、風邪を引いても自力で治すというか、病院に行かずに済ませてしまうというか。無いなら無いでどうにかなります(笑)。

あ、でも移住してきたとき、賞味期限切れの商品が値引き販売されていて驚きました!賞味期限が「明日切れる」じゃなくて「すでに切れてる」んですよ(笑)。今は自分の五感で判断できるようになりました。数字は目安ですね。

――心も身体も強くなったんですね(笑)。お話を聞いていると、すごく満たされた生活ぶりが伝わってきます。

山内さん
よく村の80代くらいのおばあちゃんたちとお茶を飲むんですが、いろんなことを知っていて、何を聞いてもすぐに答えが返ってくるんです。私もそんなおばあちゃん達のようになりたいですね。あと、今のからむしのリズムに合わせた生活を続けられればいいかなぁ〜と思っています。

山内さんのオススメ昭和村スポット

「喰丸小学校の前の道」

喰丸小400号(ドローン)
山内さん
通りを歩くだけで、四季が感じられます。特に春や秋がキレイです。街灯がないので、夜は月の明るさで山が見えるのも風情があります。

この記事は、令和3年度 福島県地域創生総合支援(サポート)事業を活用しています。

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