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「東京は俺には窮屈すぎた」少年時代に親しんだ母の故郷へ移住した郷田優介さん

東京生まれ東京育ちの郷田さん。地域おこし協力隊着任を機に、母親の生まれ故郷の昭和村へと移住しました。現在、祖母と二人で暮らしながら、道の駅「からむし織の里しょうわ」の駅長としても活躍しています。便利な東京の生活を捨て、どうして昭和村で暮らすことを選択したのか?郷田流田舎暮らしを楽しむコツとは?「NGはないからなんでも聞いて!」という郷田さんにインタビューしました。

道の駅からむし織の里しょうわ 駅長 郷田優介さん
1985年生まれ、東京都板橋区出身。東京在住時代に郵便局員、アルミを使ったインテリア制作の職人等を経て、昭和村の地域おこし協力隊に着任。2021年から道の駅の駅長として活躍している。

小学生の頃は嫌いだった昭和村、転機は高校3年生

――はじめに昭和村を訪れたきっかけからお聞かせください。

おばあちゃんの家(母親の実家)が昭和村にあり、小学生の頃はよく来てました。夏休みとか長期休暇になると村のおばあちゃんの家に預けられて、休みのほとんどを昭和村で過ごしてましたね。

郷田さん

おばあちゃんの家(母親の実家)が昭和村にあり、小学生の頃はよく来てました。夏休みとか長期休暇になると村のおばあちゃんの家に預けられて、休みのほとんどを昭和村で過ごしてましたね。

川で遊んだり、虫取りしたりと自然の中で遊んでいたんですけど、東京と違って何にもない印象で……。正直にいうと小さい頃は嫌いでしたね(笑)。中学生くらいになるとこっちにも来なくなってしまって、村とも疎遠になりました。

――意外ですね。昭和村のどんなところが嫌いだったんですか?

郷田さん

それこそ流行ったゲームとか、どこかに遊びに行ったりとかできなくて、つまらなく感じてたんだと思います。

――そうだったんですね。やっぱり子供の遊び方も都会とは少し違いますよね。それでは中学生以降はほとんど昭和村に来なくなったんですか。

郷田さん

そうですね、でも高3の夏に久しぶりに昭和村に来たんですけど、そのときに「実は昭和村って日本の最先端の地域なんじゃない?」って感じたんですよね。

インタビューに答える福島県昭和村の郷田優介さん
インタビューに応じる郷田さん

――面白い表現ですね。どういうところでそう感じたんでしょうか。

郷田さん

少し記憶は曖昧なんですけど、夏野菜か何かを食べてそれがめちゃくちゃ美味しくて、昭和村なんて何もないと思ってたのに、「こんなに食べ物がうまいんだ!」って。決して便利な環境じゃないのに、こんなに美味しい野菜を自分たちで作っている姿を見ると、人間の強さを感じたんです。東京のごちゃごちゃした生活と比べると、無駄のない洗練された暮らしをしているなぁと心打たれました。

――なるほど、村の人の生活の所々に人間としての強さを感じたんですね。そこで昭和村が好きになったんですか?

郷田さん

きっかけはそうだったと思います。それから年1回は来て田んぼとか畑の手伝いをしてました。ゆくゆくは昭和村に住みたいなぁなんて思ってたんだけど、じいちゃん達からは「ここには仕事がないから来るな」なんて言われていました。実際に求人もなかったですし。

――たしかに、おばあちゃん達の世代は子供にそう言い聞かせていたと聞きます。実際に移住するきっかけはなんだったんですか?

郷田さん

30歳まで郵便局員とかインテリアの職人とかをしていながらも、どうにか昭和村に行くチャンスを探っていたんです。そのときに昭和村が出していた「地域おこし協力隊」の募集要項をたまたま見つけて、応募することにしました。

郷田優介さんが沖縄旅行をしたときの写真
村に来る直前の沖縄旅行での写真。(本人提供)

――それで昭和村に来たんですね。東京を離れるのに抵抗はなかったですか?

郷田さん

東京は俺には窮屈過ぎたから、全然抵抗はなかった(笑)。母親には「俺、昭和村に住むわ」って軽い感じって言ったから、すごく驚いてたけど(笑)。

笑顔を見せる福島県昭和村の郷田優介さん

――郷田さんっぽいですね(笑)。地域おこし協力隊ではどんな活動をされていたんですか。

郷田さん

NPO法人苧麻倶楽部(ちょまくらぶ)という組織に所属して、学生の受け入れだったり、田舎暮らしを体験できる施設の管理だったりをやっていました。ただ任期が3年だったので、任期中に協力隊を卒業したあとの仕事は探さないといけませんでした。

そんなときに「奥会津昭和村振興公社」の社員の方から、道の駅「からむし織の里しょうわ」に来ないかと誘われて、今の仕事に就きました。

道の駅からむし織の里しょうわで商品を整える福島県昭和村の郷田優介さん
道の駅で商品を整える郷田さん。

――村の人からの紹介だったんですね。他にも声をかけられたところはあったんですか。

郷田さん

ありがたいことに結構ありました。村の中でも人手不足な分野はあるので、村の中で関係性ができると自然と声がかかりますよね。

誰もが役割を担う昭和村は「全村民が主役」

――実際に村で生活してみて、驚いたことやギャップはありましたか?

郷田さん

一番びっくりしたのはやっぱり雪の量でしたね。自分で除雪するようになって、相当大変だなと思いました。ひと冬越したときにおばあちゃんから「体でかくなったな」って言われました(笑)。今ではいい運動だと思って、前向きに考えています。

あと、満点の星空を見たときはこんなに綺麗なのか!って衝撃を受けましたね。東京の頃は夜空も明るくて、黒っていうよりは青っぽい感じがしてました。でも昭和村の夜空は真っ黒で、その中で瞬く星が本当に綺麗です。

福島県昭和村の夜空
(写真出典:令和の時代に「福島県大沼郡昭和村」へ〜昭和レトロを探しに〜 | 株式会社LIG

――私も昭和村の星空は好きです。本当に綺麗ですよね。その他にはありますか。

郷田さん

あとは意外に若い人が多かったことですね。自然と若い人同士で集まるし、村内の若手はみんな知り合いみたいな。みんなと飲み会とか何か一緒に動くことが、自分の生きがいになってますね。

――小さい村だからこその結束ですよね。

郷田さん

そうなんです。移住して間もない人でも、地区の人たちから頼りにされたり、なにかしら村の中で役割があるんですよね。みんなで村を運営していくみたいな。そう言った意味では「全村民が主役」なんじゃないかって思ってます。

地域に溶け込むには「自分を知ってほしいから、相手を知る」ことが重要

――郷田さんは色々なコミュニティにしっかり参加していて、村の人も頼りにしていますよね。コミュニティに入っていく上で気をつけていることはありますか。

郷田さん

郷に入っては郷に従えじゃないですけど、まずは地域の人たちのコミュニティに参加して、村の空気感を体感することが大事だと思っています。色々なところに顔を出してみて、地域を尊重して動くことですかね。「自分を知ってほしいから、まず相手を知ること」これは心掛けています。

――郷田さんは地域に対して真摯に向き合ってますよね。今後村でやりたいことや野望などはありますか。

郷田さん

自分の暮らしや楽しいと思うことをどんどん発信していきたいですね。そして、まずは村の人に「昭和村の生活は楽しいよ」ということを伝えたいです。村の人には暮らしに自信を持ってもらいたいです。

ゆくゆくは子供達が俺達の楽しそうな様子を見て、昭和村での暮らしたいなって思ってくれたら、めちゃくちゃ嬉しいですよね。

自宅前でバーベキューを楽しむ福島県昭和村の郷田優介さん
自宅前でバーベキューを楽しむ福島県昭和村の郷田優介さん
自宅前で、バーベキューを楽しむ郷田さん。

――素敵な野望ですね。若い人に活気があることは村の元気につながります。最後に移住を検討している方にメッセージはありますか。

郷田さん

この村は本当に人が温かい村です。田舎だけどやろうと思えばなんでもやれる村だって俺は思っています。無駄のない、洗練された昭和村に少しでも興味があれば、ぜひ昭和村に遊びに来てくれたら嬉しいです。

昭和村のおすすめスポット

道の駅からむし織の里しょうわ

道の駅からむし織の里しょうわで手を広げる福島県昭和村の郷田優介さん
郷田さん

俺が駅長をしている道の駅にぜひ皆さん来てほしいです。道の駅には色々な情報が集まるので、名物のソフトクリームを食べながら「どこをまわろうか」「何をしようか」作戦を練って貰いたいですね。

道の駅からむし織の里しょうわの全景

道の駅からむし織の里しょうわ

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【聞き手】高橋侑也

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